Travis Japanが生活のすべてになった今年の振り返り
世の中でよく見るいわゆる沼落ちブログ。
今年も終わろうとしているし、せっかくはてなブログも始めてみたし、ジャニーズ沼にどっぷり浸かった年の記録として書いてみようかと思います。
つらつらと思うままに書いたので、長いしなかなかTravis Japanには辿りつかないです。
というか今回は、トラジャに辿りつけませんでした。。
0.育った環境
私は九州の片田舎で育った。
ものすごく田舎ではないけれど、ジャニーズや有名アーティストがそうしょっちゅうはこないような片田舎。ライブに行くには特急に乗って隣県に行くしかなく、校則でバイトのできない学校に通っていた私にはライブとはハードルの高いものだった。
家庭環境もオタクには向いていなかった。
私の母は悪気なく、本人まったく気づくこともなく、私の好きになったものを落としたりちゃかす発言をするような人である。そのうち好きなことを隠したり、そもそも好きにならなくなっていった。
私の子供時代はタキツバがジュニアのトップを走り、ジュニアで地上波ゴールデンの番組もあった黄金期だった。毎週とても見たかったが見たいとは言い出せず、リビングではないテレビでひっそりと見られそうな時に見ていた。
そんな環境で育ったためジャニーズはテレビに出ていれば興味をもって見る人たち、新しいグループのデビューが決まればチェックする程度であった。好意はあるし、ジャニオタと呼ばれる人々も知ってはいるけれどまわりにはいなかったのである。
1.欅坂46
私のオタクのスタートは欅で間違いない。
大人になり、母とも物理的な距離ができたことで関係性も変わり、やっと好きなことを好きと言えるようになった。
それまでライブとは無縁に暮らしてきたし、音楽を聴くのは大好きだけど特定の曲にはまることはあっても特定の人、グループにはまることはなかった。
欅のスタートもサイレントマジョリティーにはまったことである。まず曲ありきなのだ。
そこからグループを調べ、目を離せなくなり、気づいたらライブに行くようになっていた。多くは行けなかったけど、武蔵野の森、武道館、東京ドームと参戦した。私の初ライブが欅坂46なのはとてもいい経験だったと思う。曲毎に一斉に変わるペンライトの色、作りこまれた世界観、会場の一体感。もうあのovertureが流れるライブがないと思うと悲しくてならない。
欅共和国も一度は行きたかったけどチャンスがないまま欅坂46そのものが終わってしまった。
終わりの予感のあった頃、黒い羊以降の空白とも言っていいような長い期間も再び動き出すことを、2期のみんなの活躍を見つつも1期の飛躍を願わずにはいられなかった。私は結局1期21人の絆から抜け出せなかった。
2.SixTONES
欅の空白といってもいい期間にSixTONESとSnowManのデビューが決まったというニュースを聞いた。去年の夏、そのニュースとどちらが先だったかもわからないがFNS歌謡祭でJAPONICA STYLEを見た。スクール革命の子と京本政樹の息子さんがいるグループという程度の認識だったが、曲にはまりYouTubeで検索したところ公式のMVがあった。ジャニーズも変わったんだなぁなんてことを思いながらその時はそれ以上は調べずに終わった。曲を楽しめればよかったのだ。
その後秋になり冬になり、デビュー前のテレビラッシュが始まりテレビで見ない日はないぐらいになりメンバーをなんとなく覚え始めたころ、YOSHIKIさん作詞作曲というImitation Rainが解禁されて曲にはまった。欅坂46の時と同じ構図である。
それでも私はなんとなくジャニーズにはまっている自分を認めたくなかった。母の呪縛は強かった。
そんな呪縛より自分の好きという気持ちが強くなりついに自分の好きを認めることができたのが、デビュー日あたりだった。
やっぱり長いので、いったん区切ります。
トラジャのとの字にも辿りつけなかった。まだこの頃の私はトラジャの存在すら知りません。